イタリア旅行記

  ☆☆☆☆☆ イタリア旅行記1 ☆☆☆☆★ 2001.12.30〜12.31

 *** ミラノ編 ***

【序章】
 今回イタリアを旅行先に選んだのは、2002年1月1日から導入される
 欧州統一通貨「ユーロ」の起源を肌で感じたいと思ったことが1つ。
 そして、旅行先人気アンケートでいつもナンバー1のイタリアという国
 の魅力を欲張りに見て見たいということが1つ。
 以上の2つが今回の旅行目的となりました。

 ※イタリアのあらまし
  人口約5700万人の長靴の形をしたイタリア半島に広がる地中海と
  アドリア海に面した国。南北に長いこの国は地域ごとに個性豊かな
  文化と豊かな自然がある。また古代文明より続く世界遺産が多数
  集中していることも人気の秘訣なのかもしれません。

【1】日本人軍団の1人として旅を始める

 じつは今回初めて添乗員付のツアーを利用するのだが、理由はイタリア
 は治安が他のヨーロッパ諸国に比べてちょっと悪いときいていたのと、
 あまりにも見所が多すぎるイタリアだけに事情通の添乗員さんと一緒
 なら短期間でも十分楽しめるのでは? と考えたから。
 
 ということで、空港の受け付けにて添乗員の岩本さんと初対面。そのまま
 同じツアーの人たち29名と団体で出国することとなりました。

【2】英国を経由して、ファッションの町「ミラノ」へ

 新東京国際空港より、英国のヴァージンアトランティック航空VS901便
 での出発。機体はエアバスA340で同社の最新鋭ジャンボ機。そして
 ヴァージンアトランティクというと機内サービスが豪華なことで有名だが
 エコノミーでもテレビ付、アメニティーグッツも洗面用具一式と靴下
 (なんと袋に入ったセットが配られる)までもらえて得した気分。

 さらに真っ赤な制服がコントラスト鮮やかでまさに「英国的な上品な
 豪華さ」だなと感じる。

 ロンドンまで13時間のフライトを快適に過ごし、ロンドンにて
 イタリアのアリタリア航空に乗り継ぎ。
 こちらはMD80という小型機なものの岩本さんがうまくやってくれ
 てなんとビジネスクラスの席にすわることに成功♪ これはまさに
 添乗員の腕! ってことで感謝。

 ヨーロッパの夜景を眼下に見つつミラノ・マルペンサ国際空港に到着した
 のが21時。そのまま本日宿泊するホテルへ向かう。

 マルペンサ国際空港はスイス国境まで約30分という位置にあり日本で
 いえば成田(郊外の大型空港)にあたる。つまりはアルプスのふもと
 ということで寒さも吹きさらし・・・・。といっても氷点下1度という
 ことで予想していたよりもかなりあたたかい。

 出発する早々、さっそくバスの中で岩本さんからイタリア滞在中の
 注意事項や基本的なイタリア語講座が行われ。そこで覚えたのが

 水は「アクアミネラルナチュラーレ」
  →つまりはミルラルウォーターだが、イタリア人は炭酸入りを飲む人
   が多いので日本人は炭酸なしのナチュラーレと言わねばならない

 どうして水かといえばとにかくイタリアは乾燥しているので日本で普段
 水を飲まない人でも飲まないとだめなのだそう。自分も寝る前にとても
 喉がかわき結局岩本さんの言った通りホテルの部屋のミニバーから
 アクアミネラルナチュラーレを出して飲んでしまったという訳・・・。

【3】ミラノにて一泊し市内観光へ

 イタリアでの記念すべき最初の宿泊はミラノの
 「レオナルド・ダ・ビンチホテル」 ちょっと市街から離れたところに
 ある大型のホテルでアメリカンスタイルホテル。全館暖房であたたかく
 快適。

 翌朝8時にホテルを出発しミラノ市内観光へ出発。

 ※ミラノのあらまし
  ロンバルディア州の州都。人口137万人。イタリア第2の都市。
  イタリア経済をささえる工業都市で、最もおしゃれなファッション
  の町。アルマーニ、フェレ、ヴェルサーチらはミラノを拠点に
  活動している。

 まず最初にイタリアのガイドさんと合流。イタリアでは法律で必ず
 イタリア人のガイドさんを同行していないとガイドができないそう
 で、もしやると捕まってしまうのだそう。この後の別の都市でも
 必ず現地のガイドさんがやってくるものの、だいたいは実際の
 ガイドは岩本さんか現地の日本語を話すガイドさんが行い、実際
 に免許を持っているガイドさんはサブにまわるという感じ。

 今回は、現地の日本語を話すイタリア人ガイドさんと、免許を
 持っているイタリア人のガイドさんが来て、日本語を話すガイド
 さんがガイドを担当。

 さて最初の目的地は「スフォルツェスコ城※」
 
  ※スフォルツェスコ城
   ルネッサンス期の建造物としては、ミラノで最大の建物。
   かつてミラノを支配していたヴィスコンティ家の居城を
   スフォルツァ家が改築し城砦としたもの

 【写真:スフォルツェスコ城前の噴水    IR-MILANO01】
 【写真:スフォルツェスコ城の中庭より城壁 IR-MILANO02】

 さっそくヨーロッパの城壁文化にふれる。ここにはミケランジェロ
 が死の直前まで彫っていたという未完の「ロンダーニのピエタ」が
 がある。
 残念ながら12/31のため博物館がしまっていて見れなかったが
 ・・・・。

 ここは早々に切り上げて、今度はミラノの中心街へ。
 スカラ広場より、スカラ座※を外側から見てガレリア・ヴィットリオ
 エマヌエーレ2世※へ。
 一目見ていかにもミラノらしいモダンさがただよっていて、それで
 いて床は大理石・・・。なんとも豪華。

  ※スカラ座
   イタリアが世界に誇るオペラ劇場。2001年12月31日
   (くしくも観光当日!)最終公演があり以後3年間の改修に
   入るとのこと

 【写真:スカラ座             IR-MILANO03】

  ※ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世 
   ドゥオモ広場とスカラ広場を結ぶ十字型アーケード。1867
   年完成。

  【写真:ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世 IR-MILANO04】

 ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世を抜けてドゥオモ広場に
 出ると目に入ったのはドゥオモ※。
 その大きさにしばし呆然。

  ※ドゥオモ
   イタリアのゴシック建築の最高傑作。少しづつ増設されていき500
   年かけて現在の形になったと言われている

 【写真:ドゥオモ全景           IR-MILANO05】

  中に入ってさらに呆然。輝かしいステンドグラスが前方、側面にあって
 その美しさに感動。大聖堂の中をひととおり見学して隣のドゥオモ付属
 博物館へ。ここはドゥオモに関するものが展示されていてドゥオモを知る
 上ではかかせないもの。

  【写真:ドゥオモの内部の美しいステンドグラス IR-MILANO06】

 その後、しばらく自由時間になったのでドゥオモ広場を散策しミラノ
 の雰囲気を楽しむ。

【4】ミラノでの食事

 さて、これでミラノの観光はおしまい。楽しい食事のひととき。
 食事の前にまた岩本さんのイタリア語レッスン。

 ワインの頼み方

  赤ワインはビノロッソ
  白ワインはビノビアンコ
  
  大ビンはグランデ
  小ビンはピッコロ

  お願いしますはグランツェ

 という訳で、今回はビノビアンコピッコロを頼んでみる。
 まず第一の皿はミラノ風リゾット。ちょっと甘い感じか・・・。
 そしてメインはミラノ風カツレツ。牛肉を薄く延ばし薄く衣をつけて
 カラッと揚げたカツレツで日本人にはよくあうのだそう。   
 たしかにこの味は! どこかで食べた味だなあという感じ。

 【写真:ドゥオモ付属博物館                            IR-MILANO07】
 【写真:ミラノの雰囲気を代表するちょっとした広場      IR-MILANO08】
 【写真:ミラノの治安を守る警官 (けっこうたくさんいる)IR-MILANO09】 
         
 こうしてファッションの町ミラノを後にしたのでした。
 
                *** イタリア旅行記2に続く ***

 

☆☆☆☆☆ イタリア旅行記2 ☆☆☆★★ 2001.12.31

 *** ベローナ編 ***
 
【1】ジュリエットのテラス

 12月31日午後。ミラノより出発しアウトバーンを走ること約2時間。
 だいぶ日も傾いた頃、ベローナに到着。
 
 ※ベローナのあらまし
  人口26万人のイタリア北部の都市。ロミオとジュリエットの舞台と
  なった町でロマンスの町とも言われている。
 
 さっそくイタリア人の現地ガイドさんと合流。カウボーイみたいな
 帽子をかぶって恰幅の良い紳士といったところ。そして、まず最初に
 この町で最も有名な場所へ。

 ガイドさんいわく「ここがジュリエットの家です。」と後に続いて
 丸い門をくぐって入った中庭には人がごったがえしており、奥に一体
 の像を発見。女性だな!ってことでこれはジュリエットの像。

 また左奥のテラスは有名なジュリエットのテラス。

 【写真:ジュリエットの家の中庭 IR-VERONA01】
 【写真:ジュリエットの像 IR-VERONA02】

 ジュリエットの像はなぜか右胸の光沢が他の部分より出ていていかにも
 たくさんの人にさわられた感じ・・・。

 ガイドさんは「エッチな男性がたくさんさわりますのでピカピカです!」
 と言っていたけれど、本当はジュリエットの右胸にさわると幸せな結婚
 ができるというジンクスがあるため、実際は女性がさわっていくことが
 多いとのこと。

【2】ダンテの広場

 ジュリエットの家を後にしてベローナの町を歩いてやってきたのはダンテ
 の像がある広場。ここでガイドさんより建築様式についての講釈を受ける
 ものの、なんだか上の空・・・・。さすがロマンスの町だけあって熱気に
 やられた感じ。

 【写真:ダンテ像の広場 IR-VERONA03】
 【写真:ダンテ像    IR-VERONA04】
 【写真:時計台     IR-VERONA05】

【3】いよいよ2001年カウンドダウン

 ダンテの広場を後にしてやってきたのは古代のスタジアムが残る広場。
 この頃、日本時間はちょうどカウントダウンで新年を迎えているところ
 だが、こちらは今その準備の真っ最中。スタジアムには2002の
 ネオンが取り付けられていてイベントが行われてにぎやかな感じ。

 【写真:広場の露店   IR-VERONA06】
 【写真:古代のスタジアム IR-VERONA07】

 ここで少し自由時間となり、ベローナの町を散策。さすがにミラノに
 近いだけあっておしゃれなウインドウがたくさん。それでいて古風な
 街並みに不思議と溶け込んでいるので不思議。

 さらにいろいろな露店が出ていて、おおいに大晦日ムード。ということ
 で薄暗くなったところで自由時間はあっという間に終わり。

 バスに乗り込んでベローナの町を後にしました。

 【写真:振り返ってベローナの町 IR-VERONA08】 

 再びアウトバーンにて一路ベネチアへ。1時間程走ったところで
 ベネチアの手前のメストレに到着。

 今日はこのメストレにある「ホテル・ボローニャ」にて宿泊となる。

【4】ベネチアの花火

 さて、大晦日の夕食。レストランはどこも閉まっており特別に我々
 だけのためにホテルのレストランを開けてくれる。これはやはり
 ツアーの強みと言わずしてなんとする・・・・というところ。

 だいたいイタリアでは大晦日は家庭で静かに過ごすのが慣例だ
 そうで外に出ているのはイタリア人ではないとのこと。

 それはともかくこちらは旅行者なのでずっと外。またせっかくの大晦日
 ということで、ここはシャンパンを飲むことに。

 料理はベジタブルスープにナスの蒸し焼き、ターキーのステーキ、
 アイスクリームというところ。イタリア料理の特徴である素材を
 生かしたものということで、ナスなどはほとんどそのまま焼いただけ
 なのにおいしい♪

 ということで2001年の大晦日のしめとなる。

 外は危ないので出ないようにと岩本さんに言われていたこともあり、
 静かに一人で年越しを行う。部屋で絵ハガキを書いていたら、とつぜん
 大音響とともに花火が上がりびっくり。

 どうやらベネチアの方で派手に花火をあげているみたいで、窓から
 のぞくと遠目に花火鑑賞がOK。そんなところでベニスの商人になった
 気分で就寝。

 【写真:ベネチアの花火(右の方の赤い点)IR-MESTRE09】

               *** イタリア旅行記3につづく ***

 

 ☆☆☆☆☆ イタリア旅行記3 ☆☆★★★ 2002.1.1

 *** ベネチア編 ***
 
【1】大運河めぐり

 ※ベネチアのあらまし
  ヴェネト州の州都。人口約31万人の都市。ゲルマン民族の大移動に
  よって本土を追われた人たちが集まってできた町。水の都と呼ばれる。
  また、世界の人気旅行先の第1位を獲得し続けている都市でもある。

 午後9時にメストレのホテルを出発し一路ベネチアへ。
 まず水上バス乗り場に到着。
 (ベネチアは本土とは陸つづきではないため行くためには必ず船に乗ら
  なければならない。)

 往路は、JTBオリジナル大運河めぐり! をしながらのベネチア入り。
 この大運河めぐりは本来は高級なツアーにしかつかないらしいのだが
 今日は1月1日。ドゥカーレ宮が休館で入れないためそのかわりとして
 ツアーに組み込まれたそう。

 水上バス乗り場から、我々のツアー29名は14名と15名に分かれて
 2台の小型船に乗って一路ベネチア中心部へ。
 乗ってしばらくは何のへんてつもない景色が続く・・・。
 と思っていたらベネチアの運河に入るや否や感動的な街並みが左右に
 広がり始める。

 【写真:大運河めぐり IR-VENEZIA01】

 この高揚感はやはり大運河めぐりをしないと味わえないぞ! ということ
 でしばらくの間は水の都の雰囲気に飲み込まれてしまった状態。
 
 しばらく行くと有名な「リアルト橋※」。

 ※リアルト橋
  大運河のほぼ中央にかかる橋で1590年頃完成。当時は運河に唯一の
  橋であった

 【写真:リアルト橋 IR-VENEZIA02】
 【写真:水上バスのバス停 IR-VENEZIA03】

 さらにいくつかの水上バス停を見ながらしばらく行くとついに運河を抜け海へ。
 すると豪華な大鐘楼やドゥカーレ宮がすぐ目の前。これこそ水の都! という
 強烈なイメージを感じてベネチアへ上陸。

 【写真:ベネチアの中心地 IR-VENEZIA04】

【2】水の都を徒歩で散策
 
 港から少し歩いてドゥカーレ宮へ。外から有名な溜め息の橋※を見学。

 【写真:ベネチアの町の風景 IR-VENEZIA05】

 ※溜め息の橋
  牢獄へと渡る橋で、これを渡ると二度とこの世に戻って来られないと
  言われていた

 そして次はサンマルコ広場※へ。
 たくさんの人とハトがたくさんいて賑わっている。じつは冬場は高潮で
 水没することがあるそうだが、今日は大丈夫♪
 
 ※サン・マルコ広場
  祭礼や公式行事の場となった水の都の表玄関。
 
 【写真:サン・マルコ広場 IR-VENEZIA06】

 そしてサンマルコ広場内にあるサン・マルコ寺院※を見学。
 なんとも豪華なつくりは寺院というよりも宮殿のよう。

 ※サン・マルコ寺院
  金色のモザイクとモスク風の5つのドームが特徴のベネチア共和国
  の栄華の象徴。

 【写真:サン・マルコ寺院 IR-VENEZIA07】

【3】輝くベネチアングラス

 団体観光の最後に訪れたのがベネチアングラスの工場。まずは
 実演で花瓶の加工。真っ赤にとろけたガラスを見事に加工していく
 様は見事というしかない。
 さらにショップに入ると、これまた目も眩むばかりの美しいベネチアン
 グラスが部屋いっぱいに飾られていてしばし目の保養タイム。

 【写真:美しいベネチアングラス IR-VENEZIA08】

 ここで解散となりフリータイム。ちょうど昼時ということでレストランに
 入りピザを注文してみる。待つこと20分くらいでピザが出てきたが・・・。
 むむっ、あまりおいしくない・・・。
 ということでどうやらはずしてしまったような感じ。後で知ったことだが
 ピザは昼間はおいしくないのだそうで、イタリア人はディナーでじっくりと
 焼いて食べるのが通とのこと。

【4】サン・マルコ広場〜リアルト橋

 気をとりなおしてベネチアの町へ。「ベネチアの町は地図なんて役に立たない」
 とガイドさんが言うようにとにかく狭い路地のような道がたくさん。
 とりあえず歩いてみたらリアルト橋に到着。

 【写真:ベネチアらしい路地 IR-VENEZIA09】
 
 じつはベネチアはわかりにくいようでわかりやすいのかもしれない。

 という訳で、リアルト橋に登ってみると運河がとてもきれい。ここからの風景
 は大運河を眺める絶好のポイントとのこと。

 【写真:リアルト橋より大運河 IR-VENEZIA10】
 
 そうこうしているうちに自由時間は終わり。あとは集合場所へ。サン・マルコ
 広場の露店にて、いいなと思ったスカーフ(テーブルクロスかも??)と
 毛糸の帽子を購入。
 
 あとは集合場所より高速水上バス乗り場へ移動。一歩一歩ベネチアの雰囲気を
 楽しみつつ・・・・。

 【写真:さらばベネチア IR-VENEZIA11】

【5】ベネチアよりボローニャを経てフィレンツェへ

 復路は高速水上バスにていっきに本土側水上バス乗り場へ。こちらは運河では
 なく海の方をいくのであっという間に到着。

 そしてバスに乗り込み再びアウトバーンで一路フィレンツェへ。途中
 ボローニャという町を車窓より見学。また山脈を越える際には雪が残って
 いたりして「冬のイタリア」を満喫。

 そういえば・・・このツアーの名称って「イタリア満喫」だったなと思い出し
 たものの、実際はここまで満喫というゆったりしたイメージではなくとにかく
 走って走って走りまくるツアー。でもある意味好奇心は満喫されるかな? 
 というところ。

 さて、日もすっかり暮れた18時半頃フィレンツェに到着。
 今日の宿泊先は「ラファエーロホテル」。
 ちょっと郊外なのでフィレンツェの雰囲気を感じることはできなかったが、
 この旅行初めての連泊となるだけに期待大。

 夕食はホテルのレストランにて。例によって1月1日で祝日なのでどの店も
 閉まっていて唯一やっているホテルのレストランは大混雑。ここも団体特権
 でスムーズに食事開始♪

 今日のメニューはマカロニトマト風味、チキンレッグ。お味はほどほど・・。
 またワインは「ロゼ」にチャレンジ。
 トスカーナ州の地ワインを味わってみる。
 
 とそんなこんなで今日はおしまい。
 部屋に入って就寝・・・・。と思ったら部屋を歩く足音が?! 「あれ・・・
 誰か入ってきたのかな?」

 じつはこのホテル壁がとても薄く隣の部屋の歩く音が自分の部屋を歩いている
 ようにきこえてしまう訳でちょっと気を使いそうな2日間になりそうでした。

               *** イタリア旅行記4につづく ***

 

☆☆☆☆☆ イタリア旅行記4 ☆★★★★ 2002.1.2

 *** ピサ編 ***
 
【1】トスカーナ州の風景

 ※ピサのあらまし
  フィレンツェより約1時間半ほどの距離にある人口約10万人の都市。
  有名な「ピサの斜塔」がある。

 8時にフィレンツェのホテルを出発しアウトバーンにて一路ピサの町へ。
 冬至に近いこの時期、出発時の美しい朝焼けも見ることができて一石二鳥。

 またフィレンツェを州都とするこのトスカーナ州はイタリアで最も美しい
 地方と言われていて、車窓からの風景もまた素晴らしい。
 
 【写真:トスカーナ州の風景 IR-PISA01】

 日が少し高くなった頃、ピサに到着。自分たちの乗ったバスはまず観光
 駐車場に入り、そこからシャトルバスでピサの斜塔へ移動。

 これはピサの斜塔のまわりを車で走ると振動で塔が傾くためなのだそう。
 
【2】音響効果の素晴らしい洗礼堂

 バスから降りてドゥオモ広場に入ると待ちにまったピサの斜塔がお目見え。
 「おお!本当に傾いているよ〜♪」としばらく感動。実際に思っていたより
 もはるかに大きくて臨場感にあふれているのでどこかできいた世界三大
 がっかりの1つとはとても思えないかも。

 そしてまた現地ガイドさんと合流。
 最初に訪れたのは洗礼堂。

 【写真:洗礼堂 IR-PISA02】

 ここはキリスト教の洗礼を受ける講堂で、体を清める聖水などがある。
 しばらくガイドさんの説明の後、「静かに!」というような声がかかり
 一同は緊張!。

 すたすたと警備係の人(?)が歩いてきて突然発声練習を始める。
 するとあろうことか洗礼堂全体にその声がこだましてなんとも美しい
 ハーモニーがきこえてくる。異なった3つの音をたてつづけに発声
 すればその3つの音が重なって美しい和音になるししばし聞きほれて
 しまう。

 発声練習が終わると一同から拍手喝采。さらにガイドさんから
 「今年最初の発声です。」と言われまたまた拍手喝采。

 新年から音の芸術にふれたところで、この音響効果の訳がガイドさん
 より説明される。「この洗礼堂が限りなく円形に近い精密さで
 作られているためこのような美しい音響効果が得られるのです。」
 とのこと。

 【写真:洗礼堂内部 IR-PISA03】

【3】ドゥオモ

 次に訪れたのはドゥオモ。

 【写真:ドゥオモ IR-PISA04】
 【写真:美しい中庭 IR-PISA05】

 外見はもちろん豪華なものの内部はさらに豪華。金箔の天上も
 見事。これらはピサがフィレンツェの支配下に入って以降のもの
 だそうで、なるほどメディチ家※の紋章もちらり・・・。
 
 ※メディチ家
  フィレンツェといえばメディチ家。フィレンツェでルネッサンスが
  花を咲かせたのはこのメディチ家が芸術家を庇護したためと言われる。
  もとは薬業を営んでいたが、やがて金融業に転じで莫大な資産家となる。

 さらに驚くべきは内部設計。じつはここピサで傾いているのは斜塔だけ
 ではなくこのドゥオモも傾いているそうで、建設中に傾きだしたため重心
 を傾いた方と逆側にもっていくという器用な設計になっているとのこと。

 【写真:ドゥオモ内部 ヒモが右方向に曲がっているように見えるが
            じつは柱が曲がって作られている IR-PISA06】

【4】ピサの斜塔

 最後にピサの斜塔。
 じつは2001年6月に大規模な修復工事が完了したばかりで、現在は
 登ることもできる。ただ人数制限があるため忙しいツアーの我々は
 外観だけでおしまい。

 【写真:ピサの斜塔 IR-PISA07】
 【写真:ピサの斜塔とドゥオモ IR-PISA08】

 ちょっと残念だけどガイドさんから「遠近法で記念写真を撮っていってね。」
 とアドバイス。
 つまりは斜塔から少し離れた位置で斜塔を支える(または押す)ポーズを
 とり後ろの背景にうまく斜塔を入れるというもの。

 これはじつはなかなか難しい・・・・。ポーズを取る方はよいのだが
 撮影する方は「もうちょっと右右・・・ああ行き過ぎ! きもーち右!」
 みたいな問答を繰りかえさねばならないという訳。

 そんなこんなであっという間に集合時間。
 またシャトルバスにて自分たちのバスのところに戻りピサを出発。

 もときた道を戻る中でガイドさんよりピサの斜塔の傾きについて説明が
 始まる。
 それによるとやはり斜塔が傾いた原因はいくつかあり、1つは地盤が
 やわらかいこと。あとは振動(車によるものや塔に登る人のもの)、
 そして斜塔自体が大変重たい(高級な大理石(密度が高い)を豪勢に
 使っている)こと。

 現在は大修復により19世紀頃の傾きに戻りあと300年は何もしなくても
 大丈夫なようになっていて、300年後また傾いてきたらその時の技術で
 直すみたいに計画しているのだそう。(イタリア人らしい・・・)

 とそんなこんなでピサの斜塔一色に染まった1月2日の午前中は終了。

 いよいよ午後は「ルネッサンスの都フィレンツェ」のへ入ります。

               *** イタリア旅行記5につづく ***

 

☆☆☆☆☆ イタリア旅行記5 ★★★★★ 2002.1.2

 *** フィレンツェ編 ***
 
【1】ルネッサンスの都へ

 ※フィレンツェのあらまし
  トスカーナ州の州都で人口約40万人の都市。統一イタリア建国から
  5年間は首都でもあった。そのためか現在のイタリア語の標準語は
  フィレンツェの方言が採用されている

 フィレンツェへ入り最初に訪れたのは「ミケランジェロ広場」。
 ここはフィレンツェの町を一望できる小高い丘の広場で観光客はもちろん
 地元の人たちの憩いの場でもある。
 なるほどフィレンツェの美しい街並みと円形のドゥオモなどを見ると
 「ついにフィレンツェに来たな。」と実感。

 【写真:ミケランジェロ広場よりフィレンツェの町 IR-FIRENZE01】

【2】まずは昼食・・・

 まず最初にドゥオモ近くくレストランで昼食となる。ミートソースパスタと
 シーフード料理、フルーツと飲み物はフレッシュジュース(オレンジを
 絞って作ったもの→おいしい♪)
 
 ところが・・・待てども待てども料理が出てこない。待つこと1時間
 ようやく一皿目がでてきたものの時間に追われるツアーではこのロスは
 痛い。
 フィレンツェのガイドさんが交渉するも結局は食事が終わったのが15時
 近く。ということで、岩本さんから「料理はおいしかったですが、このよう
 なサービスに対してはチップは置かなくていいです。」と一言。

 後できいた話では「結局個人のお店なので団体客には対応しきれない
 のだとか・・・。」 でもそれはそれで終わってみればよい想い出かも。

【3】フィレンツェを歩く

 そしてだいぶ日も傾いたフィレンツェの町を急ぎ足で観光開始!
 まずはドゥオモ※

 ※ドゥオモ
  サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とも呼ばれるが特徴は
  八角形の内陣の上にある巨大なクーポラ(赤い屋根)。この難しい
  工事は16年の歳月を要したと言われている。1436年完成。

 大きな赤くて丸い屋根がまさにフィレンツェの象徴。また建物全体
 がけっこう派手め。それで内部はさぞ絢爛豪華だろうな・・・と思って
 入るとこれが地味。じつは「豪華にかざりたてるのは無粋なこと」と
 いうのがフィレンツェ流なのだそう。

 【写真:ドゥオモ IR-FIRENZE02】

 そして次はサン・ジョヴァンニ洗礼堂。ここは有名な青銅製の門扉に
 施されたレリーフのみ見学。

 【写真:レリーフ IR-FIRENZE03】

 さらに小走りで移動すると広場に到着。ここはシニョーリア広場。
 ヴェッキオ宮殿※、サンタ・クローチェ教会※などを足早に見てまわり
 5分ほど自由時間。

 ※ヴェッキオ宮殿
  高さ94bの鐘桜が特徴のゴシック建築。現在は市庁舎として利用
  されている。

 【写真:ヴェッキオ宮殿 IR-FIRENZE04】

 ※サンタ・クローチェ教会
  14世紀末に完成した教会。かなり大きい。

 【写真:サンタ・クローチェ教会 IR-FIRENZE05】
 【写真:シニョーリア広場円形 IR-FIRENZE06】

【4】ルネッサンスの芸術にふれる

 広場から徒歩1分ほどで、本日の目的地でありフィレンツェの観光の
 目玉でもある「ウフィッツィ美術館※」に到着。

 ※ウフィッツィ美術館
  ルネッサンスを代表する傑作が集結する美術館。メディチ家の膨大
  な美術コレクションを展示したのがはじまり。

 作品はたくさんあるがなにしろ時間がないためかけ足。
 ショット「荘厳の聖母」、ボッティチェッリ「春」「ヴィーナスの誕生」
 レオナルド・ダ・ビンチ「受胎告知」、ミケランジェロの「聖家族」、
 ラファエロの「レオ10世と2人の枢機卿」、そしてティツィアーノ
 「ウルビーノのヴィーナス」などを見学。

 自分として特に「これはすごい!」と感じたのはやはりラファエロの
 「レオ10世と2人の枢機卿」。これは写真と間違えるほどの精巧さ
 でどうしてこんなにうまく描けるのだろうととにかく感心。

【5】フィレンツェの町を散策

 ウフィッツィ美術館を後にして、いったん皮製品のお店へ。
 フィレンツェと言えば皮製品は世界的に有名。ということでシステム
 手帳(?)と栞を購入。これを選んだ理由は一言「かさばらないから」
 ・・・・・(笑)。じつはもっと安くて見栄えの良い皮のゴミ箱が
 岩本さんからのおすすめだったのだが、かさばるのでボツにして
 しまいました。

 そしてこのお店で解散となり自由行動となる。
 さっそくフィレンツェの町の散策を始めるが、もう日は落ちて真っ暗。
 
 絵葉書に貼る切手が欲しかったので、郵便局へ行ってみるとすごい行列
 ・・・。時間がもったいないので列にはならばずに散策を続けることに
 する。

 そうこうしているうちにまずはヴェッキオ橋に到着。眩いばかりの
 貴金属店を横目にいちおう橋を渡ってからまた戻る。

 そして、あとは夜のフィレンツェをぐるぐると90分間歩き通し。
 ドゥオモに戻ったりウフィッツィ美術館の売店に入ったりなど
 フィレンツェの地理感をだいたい得たところで夕食。

【6】フィレンツェ風ステーキ

 夕食は、4人ほどで集まってステーキ屋さんへ。

 岩本さんから「フィレンツェでは絶対ステーキがおすすめです。狂牛病
 の問題もあるのでツアーの食事では出ないので是非フリーの時に食べて
 みて下さい。」
 と勧められていたこともあり一路ステーキ屋さんへ。

 しばし歩いてヴェッキオ橋の近くのお店へ。ここは日本語のメニューも
 用意されていて当たりだったかも・・・。

 さて、まず飲み物としてビノビアンコピッコロ「白ワイン小」。
 前菜にトマトとモッツァレラチーズのサラダ。
 メインにフィレンツェ風ステーキ500c!!

 ということで、まずは前菜。
 ちょっと薄味のフカフカしたモッツァレラチーズと新鮮なトマトが
 絶妙。

 【写真:モッツァレラチーズのサラダ IR-FIRENZE07】
 
 そして、いよいよフィレンツェ風ステーキ。

 【写真:フィレンツェ風ステーキ IR-FIRENZE08】

 これはキアーナ牛を塩・コショウのみの味付けで直火で豪快に焼き上げた
 もので、非常にあっさりとしている。それでいて脂身ものっていてまさに
 ステーキの王様といった感じ。
 また500cというと多いようだが、実際には骨つきなので意外と
 あっさりと食べられてしまった。
 
 食事後タクシーにてホテルまで戻る。部屋に帰ってみると手持ちのイタリアの
 お金(リラ)が底をついているのに気づき、明日は両替せねば・・・という
 ところ。

 【写真:夜のフィレンツェの町 IR-FIRENZE09,IR-FIRENZE10】

 こうしてピサ・フィレンツェと欲張った1月2日はおしまい。
 
               *** イタリア旅行記6につづく ***


☆☆☆☆★ イタリア旅行記6 ★★★★★ 2002.1.3

 *** シエナ編 ***
 
【1】ゴシックの町シエナ

 ※シエナのあらまし
  フィレンツェから68`離れた人口約7万人の都市。過去フィレンツェ
  と勢力争いを繰り返したきたが、敗れ現在に至る。しかし古都としての
  魅力は都会化したフィレンツェにないものがたくさんある。

 フィレンツェを8時半に出発し一路シエナへ。アウトバーンを抜け峠道へ
 入り約1時間半で到着。

 さて、シエナの町にはいろいろな入り方があるが岩本さんより「この
 ツアーはお若い方が多いので一番きつくて一番景色のよい道で行きます。」
 とのこと。
 言われてみればおじいちゃんおばあちゃんはいないけど・・おじさん
 おばさん(自分も含めて)くらいだよな〜ってところ。

 まずは、シエナの町の入り口で教会を散策。ここはトイレ休憩中の待機
 場所で見学するのかなと思っていたところ素通り。中身はいたってシンプル
 な感じなものの大きい・・。大聖堂というイメージ。

 そのあと朝日が眩しい中いよいよシエナの町の中心部へ。

 【写真:シエナの中心街へ IR-SIENA01】

【2】坂道の多い町

 とにかく起伏が激しいシエナは歩くのも大変。
 もっとも若いので平気ではあるが。(開き直っている・・・笑)
  
 【写真:シエナの町の風景(坂道) IR-SIENA02】

 さて、しばらく道を歩くと大聖堂発見。ここでガイドさんより説明を
 受け中も見学。柱の縞模様ってどこかで見たような・・・・・?!
 と思ったらガイドさんが「この縞模様が特徴的です。この大聖堂は
 イスラムのモスクのデザインも取り入れられているのです」との説明。

 自分の中では・・・エジプトみたい。ツタンカーメンのマスクの
 模様に似ているよな〜。と感じる。

 【写真:大聖堂外装 IR-SIENA03】
 【写真:大聖堂内部 IR-SIENA04】

 なんかスペインといえばイスラム色が強いのはわかるけれど、
 イタリア・・・しかもカトリックの総本山からそうも離れていないこの
 場所でイスラムの文化が見れるとはちょっと驚き・・・・。

【3】カンポ広場

 大聖堂を後にしてしばらく歩くと大きな広場に到着。ここがシエナと
 いえばカンポ広場という程有名な場所。

 【写真:カンポ広場1 IR-SIENA05】
 【写真:カンポ広場2 IR-SIENA06】
 【写真:カンポ広場3 IR-SIENA07】

  あと昼食までのあいだいったん解散して自由行動。しばしシエナの町の
 散策を行う。

 じつは昨日現地のお金が底をついてしまったので、まずは両替所へ。
 ところがなかなか見つからず、結局銀行を発見し両替。
 今日は1月3日。もうそろそろ新通貨の「ユーロ」だろう!ってこと
 でユーロを手にする。なんかカラフルなお札とピカピカのコインが
 新通貨って感じで感動する。

 その後、カンポ広場に戻りおみやげ屋さんで絵葉書を買いユーロを
 使ってみる。店員さんがニコニコしながらおつりを渡してくれたが
 実際かなり旧通貨リラとの混乱があるらしく、後日のローマでは
 ユーロで払ったらリラでおつりが帰ってきたり、あるいはユーロが
 使えなかったりと通貨切り替えがすんなりいっていないところも
 見られた次第。(それはそれで旅のよい想い出)

【4】遺跡の上で昼食

 さて、今日の昼食はツアーに含まれるもの。いつもは別料金のワイン
 と水までついて御機嫌な感じ。

 そしてこのカンポ広場に面したレストラン・・・なんと遺跡の上にある
 みたいで、床が鉄格子で下の遺跡が見られるというちょっとおっかない
 店。そんな訳で、床が鉄格子になっていない部分の席を怖がりの人に
 座ってもらい、鈍感な私以下4名が鉄格子席を占めることに。

 さて、肝心の食事の方はというと。

 生ハムとパン 
  塩味のきいた生ハムが絶品。ちょっとかためなところがイタリアン?!

 野菜スープ
  なにやらいろいろ入ったスープ。日本風に言うとごった煮・・・。
  
 チキンのきのこあんかけ
  チキンとあんかけは絶品♪ ただ個人的な理由によりきのこがちょっと
  苦手のためそこのところだけ残念・・・。

 ブランデークラッカー
  最後にデザートとしてとても濃いブランデーとクラッカーが出てくる。
  これはクラッカーをブランデーに浸して食べるというもので、やって
  みると強烈な風味。という訳でそれだけで酔ってしまいそうな程。

 ここでは料理も途切れなくちゃんと運ばれてきて大満足。ツアーに
 含まれる食事の中では間違いなくナンバー1というところ。

【5】永遠の都「ローマ」へ

 シエナを後にしていよいよこの旅の最終目的地である「ローマ」へ。
 途中おみやげ屋さんに寄り、トリュフチョコや帽子などを購入。
 約3時間バスにゆられてすっかり日も落ちた頃、ローマに到着。

 まずローマで最初に印象的だったのは古代ローマ時代の城壁跡。
 いままでまわってきたミラノ・ベネチア・フィレンツェに比べると
 より古代風のイメージが強いのは気のせいだろうか。

 また町もどこか南国じみていて雑多的。そんな感想をいだきつつ
 今日・明日と泊まる「グランドホテル・パラティーノ」に到着。
 
 夕食は、ホテルのレストランにて我々イタリア満喫Aグループ、
 そして同じイタリア満喫のBグループ、さらに米国人のグループと
 3つの団体が入っての食事。

 しかしこれがいけなかったのか、またしても延々と待たされる状態
 になってしまい結局終わったのが21時半。せっかくのおいしい
 料理も台無しで残念・・・・・。
 
 と気をとりなおして部屋に戻り明日のローマの自由時間の計画を練る。
 あとは大きなベットでゆっくりと就寝。

 【写真:パラティーノの部屋 IR-SIENA(ROMA)09】

               *** イタリア旅行記7につづく ***

 

☆☆☆★★ イタリア旅行記7 ★★★★★ 2002.1.4〜6

 *** ローマ編 ***
 
【1】遺跡の町

 ※ローマのあらまし
  イタリアの首都であると同時にラツィオ州の州都で人口約269万人
  の町。歴史は古く紀元前753年にロムルスによってつくられたと
  ある。

 8時半にホテルを出発! 今日は午前中はツアーで市内観光、午後は
 自由行動という予定なのでとにかく軽装で(いろいろ持っていると
 とられてしまうから・・・・怖)バスに乗り込む。

 ホテルより5分くらいでまず今日最初の目的地である「コロッセオ※」
 に到着。
 コロッセオは半ば崩れかけているものの、それがまた歴史を感じさせ
 るとともに2000年も昔にこのような巨大なものを作ってしまった
 古代人の力に驚く。

 ガイドさんの話によれば着工から完成までの期間は約5年と言われて
 いて、当時の重機も何もない文明からすると驚異的なのだそう。
 たしかに人力だけでこれを作るとなると・・・想像を絶するものが
 ある・・・というか想像できないなという感じ。

 ※コロッセオ
  紀元80年頃に完成した古代ローマの円形競技場。

 【写真:コロッセオ IR-ROMA01】

 いきなり古代ローマの遺跡で度肝を抜かれて、次なる目的地へ。
 しばらく市街を走り到着したのはバチカン市国※。
 
 ※バチカン市国
  世界で最も小さな国で、1929年建国。イタリアから入国する
  場合は特に出入国の手続きはしなくても入れる。
  世界一お金持ちの国・・・らしい?!

 バスの駐車場から近代的なエスカレーターに乗って出たところが
 サン・ピエトロ広場。その大きさはきっとイタリア最大・・・もしか
 したら世界最大かも?! と思うくらい。左右に大柱廊が広がり
 「これでもか!!」というくらいの威容を見せつけている。
 そして一番奥まったところにはサン・ピエトロ大聖堂※が見え、
 その大きさたるや溜息もの。

 そしてガイドさんが「あれがローマ教皇のお住まいです!」と言われて
 見た建物もまた豪華・・・。
 
 カトリックの信者ならばきっと恐れ入るのだろうな・・・と思いつつ
 も異教徒(?)の自分も十分恐れ入っていることに気づきちょっと
 落ち着かないところ。

 そしていよいよ中へ。中は吹き抜けになっていてとにかく巨大。
 いくつもの大聖堂がくっついたような作りになっていて、「これが
 総本山というものなのか・・・。」と改めてその威容に恐れ入って
 しまった。
 意外だったのは、総本山なのに中はオープンな雰囲気。カメラでの
 撮影もOKだし世界中の観光客の憩いの場というところか。

 とはいえ節度ある行動をとるようにして、約30分ほど内部を
 見学。(というか歩いただけ・・・・)

 ※サン・ピエトロ大聖堂
  カトリックの総本山。その大きさは言葉では語り尽くせないもの
  がある。

 【写真:サン・ピエトロ大聖堂 IR-ROMA02】
 【写真:サン・ピエトロ大聖堂の内部 IR-ROMA03】
 
 見学終了後、サン・ピエトロ広場を歩いて集合場所へ向かう途中
 露店で「バチカン市国のコインセット」をつい買ってしまう。
 「千円!」という訳だけど・・・日本人って「千円」に弱いの
 かな〜ってちょっと反省。

 その後、再び町の中心部へ。一つおみやげ屋によってあとは
 バスを下ろされて(道が狭くてバスが入れない)徒歩にて観光。

 まず訪れたのが「トレヴィの泉※」。
 とにかく人が多くて順番待ちで見るほど・・・。それでもなんとか
 近くまで行ってコインを投げ入れることに成功!

 ここでは以下のような逸話がある

 ・1枚投げ入れるとローマに戻る
  →再びローマに戻ってこれるという意味

 ・2枚投げ入れると幸せな結婚ができる
  →しかし既婚者が投げ入れると離婚ができるという意味になって
   しまうのだそう・・・

 ということで、いろいろと思考を巡らせた末自分は1枚投げ入れることに決定!
 (ちなみに投げ入れたのは日本のコイン・・・・日本人だから当然か・・な?)

 ※トレヴィの泉
  ローマ一大きいバロック様式のダイナミックな噴水。コインを
  投げ入れる逸話は非常に有名。

 【写真:トレヴィの泉 IR-ROMA04】
 
 その後、さらに徒歩でしばらく歩いて到着したのは「スペイン広場※」

 ここで団体行動は終了。あとは自分の頭と足で自由に好きなところへ
 散策開始となる。

 さて、ここは映画「ローマの休日」で有名だそう。
 しかし悲しいかな・・自分はローマの休日を見たことがなかった・・・。
 なんかローマに来るのにモグリだと言われそうだなということで、
 「なるほど〜ここがあのローマの休日の広場なのか。」とわざとらしく
 言ってみたりなんかして・・・。(ちょっと苦しい)

 でもまずは行動! ということでスペイン階段を上り教会からローマの
 町を眺めてみる。たくさんの人が行き交うローマの町の風景を目に焼き付け
 てこの旅初めての一人歩きを始める。
 
 【写真:スペイン広場 IR-ROMA05】

 ※スペイン広場
  映画「ローマの休日」でおなじみ。また広場から教会へと続くのは
  137段のスペイン階段と呼ばれる。

【2】一人歩きのローマ

 スペイン階段を後にして、地図を片手に歩く。
 アウグストゥス帝廟を見つつテヴェレ川につきあたる。
 カヴール橋からウンベルト1世橋までテヴェレ川沿いに歩いて、
 最高裁判所を対岸に発見。

 【写真:最高裁判所 IR-ROMA06】

 その後、町の方に戻って広場に到着。地図で確認すると「ラヴォーナ広場」。
 賑やかな広場を通り四大河の噴水を眺め、裏通りへ。

 さらに狭い道を通って出た広場には「パンテオン※」。
 なんとも歴史を感じさせる建物・・・というかもはや歴史以上のものに
 なってしまっている感じでもある。

 としばらく広場で古代ローマの世界を想像していたら写真を頼まれる。
 どうやら米国人のようだが・・。さすがに世界のイタリアだけあって
 観光客も多いのだろう。

 ※パンテオン
  紀元120年頃につくられた神殿。古代ローマの建築をほぼ完全な形で
  残す貴重な建物。イタリアで建築家をめざす人たちは必ず一度はやってくる
  という話もある。

 【写真:パンテオン IR-ROMA07】

 パンテオンを後にして、やってきたのはベネチア広場に到着。
 ここはローマのへそと言われていて大きなロータリーがある町の中心地。
 そして広場の向こうに見えるひときわ目立つ建物は
 「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂※」
 
 ということで、さっそく入場してみることに。大理石でできた階段を登って
 いき一番の上の講堂へ。するとローマの町が一望できなんとも素晴らしい。
 コロッセオをはじめとする古代ローマの遺跡群も一望できる。ただ風が
 強いのでけっこう寒いのだが・・・。

 ※ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
  1870年にイタリア半島の統一を果たしたエマヌエーレ2世をたたえて
  1885年から25年の歳月をかけて建設された記念堂。

 【写真:ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂 IR-ROMA08】  
 【写真:記念堂よりベネチア広場を臨む IR-ROMA09】
 【写真:記念堂内部 IR-ROMA10】

 記念堂を後にして、今度は朝訪れたコロッセオ方面へ歩く。やはりバスの車窓
 から眺めるのと自分の足で歩く風景とではぜんぜん違っていて、それだけで
 感動。

 また遺跡群が手の届くところにあり、それらの中を歩くと古代ローマの世界が
 イメージされてきて、今は朽ちているけれど2000年前にはちゃんと人が
 生活していたんだよな・・・。となんだか滅びた文明を見ているようで
 悲しいようなうれしいようななんとも表現しがたい気持ちになってしまう。

 【写真:フォロ・アウグスト IR-ROMA11】
 【写真:フォロ・ロマーノ IR-ROMA12】
 【写真:コロッセオを前に IR-ROMA13】

 と、そうこうしているうちにコロッセオの前に到着。そのまま歩いて
 エスクイリーノの丘へ。この後なんとしばらく道に迷ってしまい不安な
 気持ちで歩くことに・・・。

 その後、どうにかこうにかテルミニ駅まで着いて、あとは復活!
 共和国広場を抜け、ローマ三越を発見。さらに歩いてオペラ座の前を
 通りエスクィリーノ広場へ。

 【写真:共和国広場の噴水 IR-ROMA14】


 そこで「なんだ〜!ここさっきのところだ!」ってことでいままで
 迷っていたところが氷解。 なんかとってもすっきりした気持ちになり
 いったんホテルに戻ることにする。

 小休止の後、まだ明るいので再び外に出る。今度は真っ直ぐ歩いていくと
 フォロ・ロマーノが見えてくる。それでまたまた「あ〜そうか!この道は
 ここにつながっているんだ!」とひらめいた感じ。

 それで今度は遺跡群を落ち着いた静かな気持ちで見て、そのままコロッセオ
 を1周してホテルに戻りローマの一人歩き終了!

 ホテルの部屋で地図に自分の歩いた道に印をつけてみると・・・迷ったわり
 にはけっこうおいしい部分をちゃんとまわっているようで「よかった〜」
 という結果。

【3】最後の夜

 イタリア旅行最後の夜。まず最初にどうしてもユーロのコインを集めた
 かったのでお土産屋を何軒かまわって収集を行う。ただなかなか全部を
 まんべんなく集めるというのは難しくて苦労してしまう。

 その後、イタリアでの最後の夕食は、ホテルの近くのレストランに入る。
 入ると「日本人デスカ?」と感じのいいウェイターさんがやってきて
 日本語のメニューを見せてもらえることに。

 ここで頼んだのは・・・・

 飲み物 :ビノビアンコピッコロ(白ワインハーフボトル)
 前菜  :野菜スープ
 第1の皿:パスタミートソース
 第2の皿:ローマ風肉料理
 デザート:リンゴとみかんのフルーツあえ
 食後のお茶:コーヒー(やたらと濃い・・・)
 食後酒  :なんか濃いお酒(不明)

 多いように見えるが、実際は1つ1つのお皿の量が少ないのでけっこう
 食べれてしまうもの。
 食べ終わった頃、ウェイターさんが「オイシカッタ〜?」ときいてきた
 ので、「おいしかった♪」と答えて、最後はやっぱりイタリア語だよ!
 ってことで、イタリア語の本を見て「おいしかったありがとう!」という
 意味のイタリア語でしめくくる。
 
 お世辞にもうまいイタリア語とはいかないものの、ウェイターさんが
 「イタリア語ウマイデスネ。」などと言ってくれるものだから
 こちらも「あなたも日本語上手ですね。」と切り返すと、
 「スコシダケネ〜♪」

 という訳で、ホテルに戻り出発の用意をして就寝。
 イタリアでの最後の夜が終わった。

【4】帰国

 モーニングコール午前3時45分、4時50分にホテルを出発。
 真っ暗な中をレオナルド・ダ・ビンチ空港へ向かう。

 チェックインをすませて7時50分発のアリタリア航空AZ200便にて
 まずは英国ロンドンのヒースロー空港へと出発。

 機内食もそこそこにロンドンに到着。セキュリティーチェックや搭乗
 手続きに時間がかなりかかるが、なんと飛行機も1時間程遅れて14時頃、
 ヴァージン・アトランティック航空VS900便にて日本へと出発。
 
 飛行機に乗り込んで座ると「ようやく日本へ帰れる〜。」となんだか安堵
 した気持ちになる。

 約12時間のフライトの後、新東京国際空港には11時頃に到着。
 あとは、入国審査に続いて税関を通過。あとは真っ直ぐ京成線と新幹線を
 乗り継いで帰宅。

【5】イタリア旅行のまとめ

 今回のイタリア旅行は、ミラノ・ベローナ・ベネチア・ピサ・フィレンツェ
 ・シエナ・ローマと計7都市を8日間の日程でまわるというかなりハードな
 スケジュールだったものの、何人もの現地ガイドさんと、添乗員の岩本さんの
 おかげで無事事故もなくまわることができよかったと思います。
 私自身いままで、個人旅行に近い形態でのツアーが多かったのですが、今回の
 ような団体の形態でのツアーもまたよいものだなと思った次第です。

                 ☆☆☆ イタリア旅行記 完 ☆☆☆
 
            長い間読んでいただきありがとうございました!
 ※参考

   今回のイタリア旅行は以下のツアーを利用しました。

    ルックJTBイタリア満喫8 Aグループ

      

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